院長紹介・ごあいさつ
当院では患者様一人一人の疑問にしっかり説明をすること。
そして同意・理解して頂き、ケガや痛みは私たちと患者様が協力して一緒に治すことで最高の治療を提供できるものと考えています。
大事な試合に出たい、旅行に行きたい、仕事や部活を休みたくない、痛みなく生活したい、好きなことができない苦しさなど、症状の本質を色々な観点から見極め、一日でも早く患者様の笑顔が見られるように全力でアプローチします。
痛み等で苦しんでいる方、ぜひ来院してみてください。
院長ヒストリー
わんぱくな保育園時代
茨城県土浦市にて小菅家の長男として誕生しました。
兄弟は一つ下の妹、両親、そして祖父、祖母との6人家族で、のんびりすくすくと育ちました。
父の仕事は、消防士。
泊まり勤務が多いため、平日の昼間は家にいることが多く、小学校の夏休みに父が作るお昼ご飯(ザ・男飯!!)はひそかな楽しみでした。
救急車のミニカーが大好きで、同じ救急車を3つも祖母に買ってもらって、2人で父に怒られたのは今でも思い出します。(笑)
厳しくもあり面白かった父は自分にとってあこがれの父親像です。
(みどり野整骨院が開院した翌年、54歳で他界しましたが、頑張っている姿を見せられたか?!親孝行できたかわかりませんが、自分が子を持つ立場となって親のすごさ、ありがたみを肌で感じています。)
いつの日か、父親を超えることが自分の目標です!!
両親は共働きのため、自宅から歩いてすぐの保育園に通っていました。
保育園では、入園式の途中で外へ出てはブランコに乗ったり、用を足しに(それだけで)家に帰ったり脱走癖のある園児でした。
外出先でも知らぬ間にいなくなることも多々あり両親は大変だったようです。
ガキ大将の小・中学時代
小学校に入学すると、友達のお父さんが監督をしている地元の少年野球チームに入りました。
保育園のころから公園で練習している上級生を見ては、「野球ってかっこいいなぁ~、ホームランってすごいなぁ~…」なんて思っていたので、Jリーグが開幕してサッカー人気絶頂期の中、周りの友達も野球をやっていたので、野球との出会いは運命でしたね。サッカーやっていたらどうなっていたのでしょうか??
ここから自分の野球人生がスタートします!
小学校ではお山の大将!一応4番ピッチャーで、運動会では応援団長。
いろいろ目立つ存在でした。
中学校でも野球部のキャプテン!
厳しい先生のもと、たくさんの経験をさせてもらい、我慢!忍耐!努力!することを学びました。
「ピンチを喜び、チャンスを楽しめ!」恩師がよく言ってたこの言葉は今でもつらい時などに思い出す言葉です!
合唱祭では音痴ということもあり、指揮者を任されました。(笑)
中学3年生で受験勉強のため、野球部を引退すると、だんだん体が肥えていき、現在の体型の基礎が出来た時期でもありました。
野球漬けの高校時代
近所の先輩の背中を追いかけたせいもあってか高校は、甲子園、夏9回、春1回(2015年現在)の出場を誇る創部100年を超える茨城県立竜ヶ崎一高へ入学しました。
入学した年の3年生が春の選抜メンバーという事で、テレビで見ていた先輩方と野球ができる幸せ。(というより昔ながらの上下関係にビビりまくり…でした。)
朝から晩まで野球漬け。年間休みは数日しか無く、雨が降ってはテンションMAX!!
うまいこと、選抜メンバーの輪の中に入り1年生からベンチ入り(ブルペンキャッチャーとして参加できました)し、2年生ではブルペンキャッチャーから代打へ昇格、最後はファーストで試合に出場できました。
最後の3年生では新チーム当初キャプテンに抜擢されましたが、大スランプに陥り、キャッチャークビから始まり夏の大会前に前代未聞のキャプテン交代という結末…おかげさまで最後の夏の大会では無心になれて、思いっきり打つ方に専念できました!!(笑)
夏の大会、1年生ベスト8!!2年生ベスト4!!3年生ベスト4!!
甲子園まであと2歩!でした…
成績だけで言えば決して悪くはないですね!(笑)
苦楽を共にした仲間は今でも大切な存在です。
柔道整復師を目指したきっかけ
白球を追いかけまくっていた高校2年生の、とある日の練習試合でした。
バッターボックスに立ってバットを振った瞬間…「ビキッッ!!」
ファールボールになり、次の球を打とうとするも左手が痛くてバットが振れない。
案の定見逃し三振でベンチに帰ってくると、監督からカミナリサマ…
大激怒で交代されましたが、仮に守備についてもグローブが握れない状態。
代えてもらって逆に良かったぁ~となった事件でした。
が、次の日になっても痛みは引かず、さらには握力が10㎏も入らない…
「何だこれ?!どうなってるんだ??ちょっとやばいかも…」
寝たら治るだろうと思っていたのですが、症状は全然快方せず、だんだん焦りに代わっていきました。
「練習休んでしまうとレギュラーを取られてしまう…」
そんな中、一つ上の先輩に紹介してもらった接骨院に通うようになったのです。
このときの接骨院の先生との出会いが人生を決めるきっかけになったのです。
特殊な電気治療とハリ治療のおかげでみるみる握力が回復。
バットもグローブも持てるようになっていったのです。
「接骨院の先生ってすげぇ!!」
そんな時に通っていた接骨院の先生に柔道整復師にならないか??みたいな話を頂戴したのです。
スポーツトレーナー系の仕事に興味を持っていたので、即決!!
「やります!!柔道整復師になりたいです!!」
そんな出会いからその接骨院の先生のもとに弟子入りをしたのです。
試練の修行時代
師匠の母校、練馬にあるこの道では伝統のある東京柔道整復専門学校へ入学。
昼間は接骨院で研修をし、夜間部の学校へ。
大変ではありましたが、よく人生に無駄はないと言いますが、野球で学んだ我慢!忍耐!努力!のおかげで、たくさんの仲間と出会い、切磋琢磨し無事国家試験を一発合格!!
晴れて柔道整復師になれました!!
みどり野整骨院開院
ここからが本当のスタート!!
系列グループの接骨院(土浦・つくば・阿見)で修業を積み、
平成18年10月10日に牛久市南にて「みどり野整骨院」を開院!!
オープン当初からたくさんの方々とご縁があり、毎日たくさんの笑顔を頂いております。
開院してからも都内で様々なセミナー・研修勉強会などに参加し、患者様の早期回復のお手伝いが出来るよう日々精進しております。
ご縁もあり、全国の治療家さん向けのテーピングセミナーでの講師活動の経験もあり、地域で必要とされる治療院作りをしていきます!!
今後皆様との新しい出会いを楽しみに当院でお待ちしております。